シュタイフ
テディベアが好きな人で「シュタイフ」を知らない人はいないでしょう。
シュタイフは最も有名で最も古いテディベアブランドです。
シュタイフとは人の名前です。
シュタイフ社の生みの親、マルガレーテ・シュタイフ(Margarete Steiff)は1847年、南ドイツのギンゲンという町に生まれました。
しかしマルガレーテは1歳半のときに小児麻痺を患い、右手と両足が不自由になりました。
そのようなハンデを乗り越えて彼女は1877年にフェルトのお店をオープンしました。
このお店ではフェルトのスカート、ドレス、子供用のコートなどを作って販売していたのですが、あるとき象の針刺しを作りました。
その針刺しが世界で初めてのぬいぐるみとして人気となりました。
今でも「シュタイフの象の針刺し」はとても有名です。
その後、いろんな動物で針刺し、子供用のおもちゃを作っていきました。
シュタイフが現在のテディベアの原型となるクマのぬいぐるみを作ったのは1902年のことです。
このぬいぐるみは「55PB」(55=座高55cm P=毛の生えた生地 B=動かせる)といい、シュタイフ社の自信作でしたが、これまでのぬいぐるみと違って
・大きすぎる
・重い
・硬い
・高価
ということからニューヨークのショールームに置いても、ライプツィッヒの展示会に置いても全く人気がありませんでした。
ライプツィッヒの展示会の最終日、シュタイフ社の社員がっかりしながら帰る準備をしていたとき、偶然シュタイフ社のブースに立ち寄ったニューヨークのバイヤーが「55PB」を大変気に入りその場で3000体もの注文をしてくれたのでした。
これがシュタイフ社が大成功をおさめるきっかけとなりました。
1905年以降、アメリカでの需要が特に高まっていきます。
それは当時アメリカ大統領であったセオドア・ルーズベルトと深い関係があります。
ルーズベルト大統領の人気が高まるとともに、シュタイフ社のテディベアも国民に大変愛されるようになりました。
「ボタン・イン・イヤー」
大ヒット商品にはつきものの悩みが「粗悪な類似品・コピー商品が出回ること」でしょう。
シュタイフ社も例外ではなく、テディベアの大ヒットとともにやはり粗悪な類似品がたくさん出回りました。
そこでお客様が一目でシュタイフ社の製品だと判別できるようにと考え出されたもの。
それが「ボタン・イン・イヤー」でした。
シュタイフ社の商品には必ず耳にこのようなボタンタグがついています。
このタグは数種類あり、それぞれ意味があります。
・黄色+赤文字
定番商品。
数に制限はありません。
・白色+赤文字
限定品につけられます。
地域限定、数量限定、年度限定品などがあります。
・白色+黒文字
1900年初頭の製品のレプリカ(復刻版)につけられます。
テディベアショップでは商品説明の際、「白タグ」「黄タグ」と表記されているところが多いです。