化粧品は通販主義

ハーマン

ハーマンはシュタイフと並ぶドイツの老舗テディベアブランドです。
(ハーマンは英語読みで、ドイツ語ではヘルマンと発音します)
ハーマン社は2種類あります。

赤ハーマン 緑ハーマン

赤いタグをつける会社は「ゲブリューダー・ハーマン社」といい、日本での通称は「赤ハーマン」。
一方緑のタグをつける会社は「ハーマンコーブルク社」といい、日本では「緑ハーマン」と言われています。
どちらの会社も元をたどると1人の男性にたどりつきます。

「ゲブリューダー・ハーマン社」

1907年、ヨハン・ヘルマン(Johann Hermann)はドイツのノイファンクでテディベアの製造を始めました。
ヨハンの子供たちもそれを手伝っていましたが、やがて長男のベルンハルト・ヘルマン(Bernhard Hermann)が結婚を機に独立したいと考え夫婦でゾンネベルクに引っ越してそこでテディベアを作り始めました。
家族や従業員の助けを借りて、ベルンハルトのビジネスは成長し続けましたが第二次世界大戦が終わるとゾンネベルクはソ連の支配下になりました。
ソ連の共産主義政権を恐れたベルンハルトは、ババリア地方にあるヒルシャイドに会社と家族を移しました。
ここで会社のトレードマークが「BE-HA(ベルンハルト・ヘルマンの名前からもじられた)」から、現在の「ハーマン・テディ・オリジナル」に変わりました。
現在はベルンハルトの孫が会社を継いでいます。

「ハーマンコーブルク社」

ベルンハルト以外のヨハンの子供たち、アルテューア・アーデルハイド・マックス(Arthur, Adelheid and Max)は1913年、父親の名前をとった「ヨハン・ヘルマン・シュピルヴァーレン」を設立します。
ヨハンが亡くなった後、子供たちは分かれることになりました。
そしてマックスがノイファンクに小さなテディベア会社を設立。
ほどなくしてゾンネベルクに会社を移し、そこから世界中にテディベアが出荷されました。

その後マックスは自社のテディベアを特定するために、上記の「緑の三角マークと「走る犬を携えたテディ」をモチーフにしたロゴを開発しました。

第二次世界大戦後、ドイツは東西に分けられ、ゾンネベルクは東ドイツの一部となりました。
そこでマックスはバイエルンのコーブルクのはずれに家族とともに移ります。
そして息子とともに工場を再建し、ハーマンテディベアを作り続けました。
現在のハーマンコーブルク社はマックスの孫が継いでいます。

1993年以降、ハーマンコーブルク社のテディベアには三角のロゴが首につけられるようになっています。

ラプンツェル 白うさぎ

左:ラプンツェル(Rapunzel )
右:白うさぎ 不思議の国のアリスシリーズ(White Rabbit Alice in Wonderland Series)

緑ハーマンのテディベアは取り扱っているテディベアショップがなぜかあまりありません。
直接ハーマンの公式サイトで注文するか、英語がわからないという方はショップに取り寄せができるか問い合わせしてみるといいですよ。

  

=プロフィール=

ニックネーム:loveteddy-disney
自己紹介:
テディベアが大好きで、10年以上前からコツコツとコレクションしています。
東京ディズニーシーで大人気のダッフィーを初めて知ったのもテディベアからでした。
以降テディベアだけでなく、ぬいぐるみもコレクションしています。

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